瀬戸川です。最後の大会はアクセラICV日本記録更新、ファイナル6、非公式ベストラップ賞3位と速さが本物であることを証明できとても嬉しいです。これも一重に保護者の皆様のサポート、スポンサー様の支援、OBOGの皆様、関係者の皆様のご支援のおかけです。本当にありがとうございました。
最後に、OBとして記憶が新しい内に自分の学F人生を振り返ってみたいと思います。
これはよく話す鉄板ネタなのですが、僕が学Fを始めたきっかけはかなりレアなんです(鉄板とかけてるわけではないです…)。コロナ禍の緊急事態宣言と入学のタイミングが重なり、大学に通わず1年を過ごしました。家に引きこもり、ゲームに没頭する日々でした。2年生になると半年くらいは大学に通うので精一杯でした。新しい友人もできましたが友達とどうやってしゃべってたっけ?なレベルに人と話してませんでしたし、そうなるのも当然です。半年くらい経って10月になり、何かサークルとかやってみたいなーと思い始めていた頃、とある英語の授業で堀田と出会いました。実は、2年後期に英語の授業を取るのは少し変な選択なんです。その授業も履修登録していたのは3人のみで、異様な雰囲気の中授業に参加していました。内容は工学的な英語だったので、当然工具とか部品とか出てくるのですが、堀田はもう入部しているので、当然その工具の名前を全て知っているわけです。ただ、当時引きこもりニートだった僕にはそれに驚愕し、何でそんなに知っているのか聞きました。その日始めてフォーミュラの存在を知り、知った瞬間に入部を決意しました。今までの人生でこれだけ即断即決したのは後にも先にもありません。そして、この決断が僕の人生を180度、いやねじれの位置に飛ばしてくれたんじゃないかというくらいに変えてくれました。
入部当時は2021年公式記録会の直前だったため、2022年度活動から参加することになりました。自分を含め同期6人でスタートし、右も左もわからない僕はとりあえず誰かいる日にガレージに行きました。今までゲームをやっていた時間を全てフォーミュラに投下しました。最初はエアロ班として活動を始めましたが、2022年5月にフレーム担当の子が辞めてしまい、僕が引き受けることになりました。人が少なくノウハウもない中何とか製作を進めていきました。7月頃には当時修士2年だったOBの方にも助けに来てもらいました。シェイクダウン3日前にOBの方から「瀬戸川、お前は今日からブレーキ担当だ!」と言われいきなりエア抜きが始まるくらいにはみんな限界でした。それでも何とかレースベースで走れる状態にし、5年振りのエンデュランス完走を含め総合4位を獲得しました。
2023年も相変わらず人も少なくノウハウも乏しい中でスタートしました。そのため、とにかく早くシェイクダウンしてマイレージ稼いで速い車を作ろうと決めました。このタイミングで始めてCADをインストールし、フレーム設計、リアのブレーキキャリパー変更に伴いアップライトを設計しました。この年はチームマネジメントに難航し、自分たちが知識・経験不足なこともあり後輩育成ができませんでした。結果的にオートクロス3位を獲得しチーム初のファイナル6での出走となりましたが、自分たちの力不足を実感しました。
2024年はASEコースへの対応として何をしたらいいか試行錯誤を繰り返しました。当時の1年生を次のメイン代として鍛えるために一緒に製作をし、世代交代に向けて準備の1年でした。実際大会ではアジャストできず、悔しい結果となりました。
そして今年、リベンジするため基本に徹しました。引き継ぎが上手くいっていなかったサスを担当し、ASEコースへの対応を図りました。パワトレの最適化もはまり、個人としては優秀の美を飾れたのかなと思っています。
すごい長くなってしまいましたが、我武者羅に挑戦した4年間でした。FM関東にも参加し、同期が誰もいないから初年度から委員長をやってしまうとか無茶もしてきました。それでもこの1年で体制を大きく変え、関東勢を速くするという目的は達成できたかなと思います。現役のみんなは1つのことを極めるもよし、いろんなことに挑戦するもよし、手を動かしてやってみてください。
僕の体は学Fでできています。スポンサー様の企業でバイトを始め、そこの管理物件に引っ越して一人暮らしをしています。学Fに染まりきってますね笑。このご恩は必ず返します。4年間ありがとう。