忘却

こんにちは、蛯沢です。

 試走会シーズンになり、肌の焼け具合を気にする時期になってきました。1年の時を感じます。より一層大学生が作る車が走行しているすごさを実感していますね。去年よりももっと楽しい大会になりますように。

 皆さんは自分の字は好きですか?私はそこそこです。走り書きのときは後から見て読めないくらい残念ではありますが、日によって大人っぽくなったり少し丸っぽくなったりします。ノートを丁寧にとっているときの字は見返したときに安心感があって好きです。書写の授業の硬筆はお手本通りに書けるよう、手が痛くなるまで時間をかけた記憶があります。文字の模写は(時間があれば)好きかもしれないです。まあ、そこそこです。また、私は誰かの字を見て思いをはせる時間も好きです。例えば、有名人の人が手書きで書いた文章をみて、紙にインクがのっている様子だけでずっと見ていられます。その人がその紙に触れたこととか周りにどんな人がいてこれを書いてたんだろうとか。あっ、今思ったことは口に出さないでくださいね。これを書いてて気づいちゃったのでわかってますよ。でもその人がいた記憶としていいなって思うんです。モノ中心の同じ空間にいるんだなっていう。聖地巡礼の一種です。サインはまた違うかもしれません。あれは思考が混ざっていないように思うので、その人がその場で考えたっていうことがいいのかもしれません。そういう人もいるんだなというくらいに思ってください。

 最近、あるYouTuberさんの動画で香水やフレグランスの話が出ていて、「そのもの自体が好きであったことを忘れないように」香りをいろいろ変えてる、というような言葉を使っていました。(相方さんがえもーいって返していたのがかわいかったです。)音楽も似たようなものを感じるときがあります。すごく好きで同じ曲やアルバムを無限回リピートして、でも聴きすぎて飽きてくるような、そんな自分になりたくなくていったん休憩するっていう感じです。生活の一部になりすぎるとさみしくなるから少し距離を置く。これが好きだと大声で言えるって自分の事も好きだと言っているみたいで、消えてほしくないと思ってしまいます。これから先もずっと好きだと思えるように。今は地球に響く音が好きみたいです。朝と夜がちょうど良いです。昼は太陽ともう少し仲良くなってからですね。